新しいタイプの「原因と結果」

(この記事は黒澤亮建築設計事務所のHP・ブログに掲載したものに加筆・修正したものです。)

 

icon 原因と結果

近年私が感じている新しいタイプの「原因と結果」の関係について書こうと思います。

本題の前に「機能主義」について書かねばなりません。

機能主義というのは近代特有の概念ではなくて、古来からあるものです。ちなみに、機能というのは「ものの働き」のことです。「方法」や「手段」を使って「目的」を達成する、という普遍的な思考形式がありますが、方法というからには再現性が必要になってきます。そしてひとたび方法が確立すれば、誰がやっても同じように目的を達成できなければなりません。

目的は個人がそれぞれ持つものですが、似たような目的を持つことも多いわけです。そこで「方法」が大事になってきます。そうなると、「どうやって新しい方法を構築するのか?」という問題が生じます。方法構築のために、あらゆる対象がわかりやすい形になるまで全体を分解していく必要が出てきます。全体を全体として捉えている内は「分かった」とは言えないですし、方法を構築できません。認識できる要素から出発しないと、人間の頭は方法を組み立てられないのです。

例えば、おいしいリンゴを作りたい、という目的があるとします。多くの人がこの目的に取り組んできたことでしょう。でも、どうやっておいしいリンゴを作ろうか?と考える前に、いろんなことを明らかにしないといけません。

・どういう要素に人はおいしいと感じるのか?
・リンゴの成分は何なのか?
・成分のバランスによって、どのように味が変わるのか?
・どういう育て方だとおいしくなるのか?
・最適な肥料や防虫剤は?
・伝統的なリンゴの育て方のどこに改良点があるか?

・・・など。
これらが少しずつ明らかになっていくと、リンゴをおいしくするための方法が組み立てられます。誰もが使える方法になります。また、検証が可能となり、方法の要素を入れ替えたり、改良することで目的をさらにより良く達成できるようになります。

対象全体を要素へと果てしなく分解し、それらの一つ一つの働きを元に全体を再構築させて、目的に到達する・・・これらは総じて機能主義だと思います。そして、我々の日常はこうした機能主義的思考に満ちています。建築やプロダクトデザインに限らず、機能主義的思考は今や社会システムやあらゆるジャンルに浸透しています。たとえば、健康番組で「○○にはビタミンと繊維が豊富に含まれて、こういう作用(つまり機能)があって、体にとてもいいんです。」・・・・といった説明は機能主義的な説明なわけです。

(こうした機能主義的な説明は一見して筋の通った説明のように見えて、多くの嘘や誤った事実も簡単に紛れ込んでくるので注意が必要です。)


さて、前置きはこのぐらいにして本題に入ります。新しいタイプの「原因と結果」についてです。

アムステルダムのスキポール空港の便所が大変汚く、困った挙げ句に男子便所の便器の真ん中にハエのプリントを貼ってみたそうです。その結果、みんながハエを狙うように用をたすようになったため、トイレが劇的にきれいになったとのこと。面白いアイディアですよね。しかし我々はこれを呑気に笑って済ませることはできません。単なる気の利いたアイディアだとスルーしてはいけない。トイレを綺麗にしたいという目的を、従来の概念から外れた領域に踏み込んで見事に解決しているからです。

私なりに想像を広げてみます。例えばこれが駅のトイレの話だったとします。そして様々な立場の人に意見を求めたとします。するとこんな発言が出てきそうです。

駅長:「こんなことではいけない。清掃費を上げて、頻繁に清掃するようにしよう。」
学校の先生:「トイレの使い方に限らず、こういった問題の根本は教育に原因があると思います。公共マナーを授業で取り上げるべきです。」
広告会社の社員:「トイレだけじゃなくて、公共の物を大切に使ってもらえるように、みんなの意識を高めるポスターが必要でしょう。啓蒙活動ですよ。」
クリーニング会社:「単純に使用者が増えたんだよ。今までのトイレや洗剤だけじゃ、清潔さを保てないんじゃないかな?ほら、汚れを分解するコーティングってあるじゃない?」
デザイナー:「もっと便器のデザインとかトイレの空間全体を美しくすれば、それだけで使う人の気持ちが変わると思いませんか?きれいに使おうって思うでしょう?」
一般の人:「トイレを外国みたいに少額でもいいから有料にすれば良いんじゃないですか?管理人が常に居ればきれいに使ってもらえるかもしれないね。でも有料はやっぱり困るかな。」

・・・こんな声が聞こえてきそうです。立場の違う人が、みな口々に原因を暗に想定し、それに沿った解決方法を口にしています。しかし、スキポール空港の例は、これらのどの方法とも違うやり方でトイレがきれいになったのです。ここに新しいタイプの原因と結果の兆候が見えています。それは目的と方法の関係が変わることを意味します。・・・いったい何が起きているのか?

 

この話にぴんと来ない方は、こういう例はどうでしょうか?

例えば、最近子供がなぜ切れやすくなっているのか?という問いに様々な人が原因を挙げています。

・メディアの影響
・マンガやテレビの影響
・シックハウスや住環境問題
・教師の力量不足
・親の接し方、育て方

・・・あらゆることが言われています。

つまりある問題の原因に対して、様々な仮説が立てられるけれど、実はもっと違う次元に答えがあるかもしれない、という話なのです。 


話は移って、ニューヨークに関する話を取り上げたいと思います。

1992年の時点で、ニューヨーク市では2154件の殺人事件が起こり、626,812件の重罪事件が起きていたそうです。しかし、ある時から急激に犯罪発生率に変化が起きました。5年間で殺人件数は64.3%ダウンして770件。重罪事件の総数は半分の35,5893件に・・・。

なぜか?

このときも、さまざまな理由が挙げられました。が、しかし本当の理由は違うところにあったようです。

犯罪を劇的に減少させた方法が生まれたきっかけをつくったのは「割れた窓理論」と呼ばれる理論でした。犯罪学者が主張した理論です。簡単にいうと、街の中で窓が一つ割れて放置されると、無法状態の雰囲気が現れ、それが隣の通りにまで広がり始めるというのです。つまり「ここでは何をやってもいい」という環境的な信号が出始めるということです。この理論に基づいて、地下鉄を徹底的に掃除し、清潔さを保つという対策がとられました。一台でも落書きされたらその車両は外すという徹底ぶり。子供が三日かけて一生懸命に車庫の車両に落書きしたら、あえて三日目にきれいさっぱりにするという冷徹ぶり。「割れた窓」が生み出す空気を徹底的に消し去ったということです。

その他にも同じぐらいの時期に、無賃乗車を徹底的に取り締まったそうです。私服の警官が配備され、無賃乗車した人に手錠をかけました。面白いことに、次々と捕まえた人を手錠で数珠繋ぎのようにして立たせておいたそうです。無賃乗車はそれまであまり力を入れていませんでした。というのも取り締まってもたいした問題では無く、重大な犯罪に力を注ぐべきだと考えられていたからです。しかしこの取り締まりは思わぬ副産物をもたらしました。無賃乗車する人の何人かに一人は、武器所持者だったり、指名手配犯だったからです。無賃乗車をすると、もう踏んだり蹴ったりになるわけです。これじゃ、やましい人はうっかり乗れませんし、些細な不正もしないように気をつけなくてはなりません。その後ジュリアー二市長が当選すると、地下鉄での試みをニューヨーク全域に適用しました。

・・・その結果が犯罪減少に結びついた、というのです。

犯罪を減少させようと思ったら、警察官を増員したり、パトロールを手厚くしたり、といった方法を普通は思いつくでしょう。


さらにもう一つ。

「女の平和」これは古代ギリシャの劇作家アリストパネスによる紀元前の反戦喜劇です。日本語新訳で出ています。このお話は古代ギリシャのペロポネソス戦争が題材になっているのですが、戦争に反対するアテナイとスパルタの女たちがセックス・ストライキを起こして、戦争のことしか考えない男たちをこらしめる舞台劇です。戦争やめるまではお預けよ!みたいなノリでしょうか・・・。紀元前のお話ですが、アイディアは秀逸だと思います。先のイラク戦争ではこの物語を朗読するという運動が起きたそうです。結果は皆さんご存じの通りですが、ネットが発達した現代では遠隔地との連携がとりやすいわけですから、本気で試す価値があるかもしれません。

プラカードをもってデモ行進して「戦争反対!」と叫んでいる人たちをテレビで目にしますね。しかし、デモ行進では直接戦争を止めることはできないでしょう。(それで本当に戦争を止められるのなら今までほとんど戦争にはならないか、もしくはすぐに終わっている)・・・これはトイレが汚いから清掃費を上げる、という話に似ていませんか?でもそれはどうやらあまり有効な方法ではない、と考えられるわけです。本当に戦争を食い止めたいなら別種の方法を考える必要があるのではないかと思います。デモはメディアに取り上げられることによって、世間の注目を集めたり世論を動かすという事に対しては有効かもしれないわけですから、それを目的とするならば、人々の意識に作用しやすいようにメディアやネットをフルに活用して効果的に情報を拡散させて世論を方向付けていかないといけないでしょう。 回り道ではありますが、影響力や波及力を戦略的にデモに付随させなければ意味がないことになります。(「デモ」が「暴動」に発展したら話は変わってくるので、ここではそれは置いておきますが、「暴動」を目的とするならそのきっかけとしての「デモ」はありなのかもしれません。しかし日本場合はデモを行うには警察に届け出をする必要があるようで、暴動には発展しにくい仕組みになっているようです。安保闘争のデモ・暴動の免疫としての仕組み作りが整っているということかもしれません。)


 私がこの一連の話を通して考察したい仮説は「小さな意識に作用することで状況や結果を変えられる」ということです。

まとめてみましょう。

・トイレにハエをプリントすると、「小便で打ち落としてやれ!」というちょっとしたイタズラ心が生まれ、結果的にトイレがきれいになる。
・地下鉄を常にきれいにすることで、うかつに汚せないという小さな意識が芽生える。
・無賃乗車が見つかると、手錠につながれて駅でさらし者になってしまうと恥ずかしい、という意識が植え込まれ無賃乗車をしなくなる。
・徹底的に駅で取り締まられると、犯罪者は「この街では下手に動けないな」と感じ始める。
・戦争に躍起になっている男達に、生理や本能レベルの意識に働きかけることで「戦争してる場合じゃない!」と気づかせる。

どれも小さな意識に作用してが全体へ波及しています。

さらに考察を進めると・・・
採用された方法は、状況に対する次元の階層がずれている」ということです。

もう少しわかりやすく言うと、トイレが汚いからきれいにしたい!だから清掃費を上げる・・・というのはとても直接的な目的と方法です。しかしハエを便器にプリントするという方法は、私たちの小さな意識に直接働きかけるのであって、トイレをきれいにすることとは違います。凶悪犯罪が多発しているから何とかしたい!だから取り締まりの人員を増やし、特殊技術や強力な武器を導入する、・・・というのも直接的な方法です。しかし、徹底的に地下鉄をきれいにしたり、無賃乗車を取り締まるのは、凶悪犯罪に対して直接的に作用していません。戦争という国や生命を賭けたものに対して、セックスで解決を図る、というのも全然階層が違います。

どの事例も私たちの通常の感覚や常識では捉えられないような階層の切れ目があるのです。ここに新しいタイプの機能主義を感じ取ることができます。目的に対して方法の質が一般的な概念や通念とは全く異なるのです。これは「風が吹けば桶屋が儲かる」とか「バタフライ効果」と呼ばれるような概念に通じるものがあります。しかしもう少しズームアップして微かな意識の働きに注目すると、新たな因果関係が見えてきます


今回のテーマは「新しいタイプの原因と結果」ですが、詰まるところ「本当の原因は何だったのか?」という私なりの問いかけでもあります。起きている問題の原因を限界まで掘り下げていくと、「人の意識」という領域にたどり着くのではないか、というのが今のところの私の結論です。

 

従来の方法が前提としている次元とは全く異なる階層を見つけること。そして意識に作用させること。

その先に新しい結果が待っているはずです。