建築家のあかりコンペ2011 「ささやかな光の先に」

建築家のあかり2011コンペ [2011年]

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光の並びの奥をよく見ると・・・

建築家のあかり2011

LEDがこのコンペのメインテーマでした。プロダクト製品としての枠組みを超えた提案をしました。

発展途上国の発達の仕方はいろいろなタイプがあると思いますが、レアメタルや農業など、資源を活かした形で輸出をしながら先進国の技術や文化を次々と移入させて近代化していくのが通常のパターンだと思います。しかし格差が圧倒的に開いた状態では、緩やかに段階を踏んで技術進化するのではなく、「技術のジャンプ」ともいうべき現象が起きます。

たとえば村に電柱や電話線などのインフラ整備をすることなく、携帯電話がある日突然開通するような現象が起きます。公衆電話を整備するというステップを踏むことなく携帯が普及するのです。私たち日本人が経験してたどってきた道を何段階か吹っ飛ばして、最先端の技術が入り込みます
もうちょっとすれば、ガソリン自動車より先に、EV車や水素カーが先に普及するような国が現れるかもしれません。あるいは火力発電や原子力発電を飛び超えて、太陽光パネルや他の代替エネルギーが先に普及する国があるかもしれません。これが「技術のジャンプ」です。

近代化(モダニゼーション)は驚異的な速度で、環境を書き換え、破壊し、既存の文化や人の感性を更新してしまいます。私たち日本人の場合、戦後の急速な近代化の中で、まばゆいばかりの光を獲得しましたが、「陰翳礼讃」のような文化は後退したように思います。都心では星は数えるほどしか見えません。夜空に想いを馳せ、詩を吟ずる、なんて文化が育つはずがありません。
 
このコンペで据えた私のテーマは、
発展途上国が何段階もジャンプした技術を導入したとき、文化に何が起こるのか?」ということです。

メキシコの西シエラマドレの辺境、半定住の先住民ウィハリカ(ウイコル)の村での興味深い事例があります。街灯も家庭の照明も無い村に、照明が導入されたため夜間に内職や勉強が出来るようになり、村全体の生産性や識字率がアップしたというのです。また、面状の発光シートが村に導入され、機織り女性達がメソアメリカの機織り技術を使って、伝統的な模様の織物の素材の一部として発光シートを織り込んだバッグが村の特産品となり、新しい経済が生まれているそうです。つまり先端技術と伝統技術が融合したということです。
※世界を変えるデザイン シンシア・スミス[編](英治出版)より

このような技術移入の後に、私たちと同じような破壊的な近代化の道が待っているのか?
それとも既存の文化の可能性を押し広げる道が待っているのか?

全世界では30億人が照明のない生活を送っているそうですが、私たちの経験した近代化の考え方ならば、まず道をアスファルト舗装して、街灯でこうこうと照らして、・・・となるのでしょうけれど、本提案で想定したのは、人々の道のガイドとなるような照明です。方向の手がかりを得にくい広大な草原に設置する微弱な「あかり」を考えました。

この照明器具は長い虫ピンのような形をしていて、直径3mm程度の細いカーボンファイバーのロッドの先端に0.1ルーメン未満のLEDを組み込むことを想定しています。先端部は明暗センサーと電池を入れます。夜になると微弱に光ります。重心が上の方にあるので、少しの風でも揺れ、微弱な光を認識しやすくします。また照明部が地上1mぐらいの高さにあることで、雑草が生えてきても隠れにくくなります。
また、貧困にあえでいるような発展途上国に於いて、少額で大量に設置できるよう、簡易な施工性を考慮しました。細い穴を掘ってロッドを埋めていくだけです。インフラと接続することなく、自律的に成立します。
つまり、これは闇夜における「照らさない照明」です。

人々が通る道に沿って蛍の光が並んでいるようなイメージとなります。歩くにしたがって、少しずつ先の小さなあかりが見えてきます。道に迷う心配をせずに、星空を楽しみながら歩けるでしょう。柔らかく環境を書き換えながら、その土地の文化と緩やかに融合していく・・・そんな近代化の道があると思います。