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日立さんの「秋の庭園公開」

東京都国分寺市に日立製作所さんの中央研究所がありまして、年に2回、庭園開放が開催されます。広大な自然豊かな敷地内を一般開放をする日なのです。野川の水源にあたる場所で、環境的にも素晴らしいところです。ちょうど弊社のお客様の「きの実」さんからのお誘いもあり、家族で行ってきました。中央の広場の芝生スペースに様々なお店が出店しています。

ついつい色々買ってしまいます。

「きの実」さんも頑張ってらっしゃいます。お年寄りから子供まで幅広く興味を持っていただいているようです。お客様の空いた際にちょくちょく顔を出して、今後の展開とかアイディアを打合せ。

食べるのに夢中で、肝心の庭園散策もしなくては(笑
もうすっかり秋も深まっていることを実感。
子供は落ち葉の下のどんぐりと虫に夢中です。
ちなみにこの池には白鳥や鴨がいます。

帰り道の公園で

 

引き違いサッシと網戸

夏場に窓を開けておいたら、網戸があるはずなのにいつの間にか虫が入ってきた?・・・という経験はありませんか?それは部屋から見て網戸を左側に置いているからなのです。

網戸を左側に置くと、通気を取りたいときに左の窓を開けることになりますが、半分だけ開けると、サッシと網戸の間に隙間が出来ます。虫はこの隙間から入ってきているのです。

ところが右側に網戸を入れておくと話が違ってきます。
通気を取りたいときは、右側の窓を開け、出入りの際は左の窓だけ開けます。

そうすると網戸は左のサッシ枠と密着しているので虫が入ってきません。隙間が無いから、窓を好きな分だけ開けておけるのです。網戸は動かさなくて良いんです!

 

「網戸は部屋内から見て常に右側」というのが使い勝手の良い位置関係です。

?と思った方は試しにサッシと網戸を動かして観察してみてくださいね。

錫 (すず) の器づくり ~経験や体験について~

以前から気になっていた錫を使ったワークショップに参加してみました。
東京都目黒区にあるMakers’ Baseという工房で開催している「錫酒器」作りです。4時間かけて下記画像のように左から順番に、丸く平たい錫の原板をたたいて、絞っていって小さなおちょこのような器を作ります。錫器 (1)

錫には水の浄化作用があるとかで、どんな金属だろうという興味があったのです。素材の性質を熟知したいと考えていたこともあり、参加してみることにしました。

結構体力を使います。・・・というより腕が痛い、、、。
何百回と錫を木槌や金槌を使い分けて打ち込みます。砂の入ったバッグを下地に、木槌でたたき続けると、だんだん湾曲してきます。錫は意外に柔らかいです。ここで入荷している錫は純度の高いものらしいです。
錫器 (3)

ひっくり返すと布地の模様が錫に転写されています。そのぐらい軟度が高いわけです。
(注:画像が少々ぶれているのは、何百回も打ち込んだせいで手がぷるぷるしているからです)
錫器 (4)

器がそれらしい形になった後、講師の方が内側から成形していく過程を実演してくれました。
錫器 (6)

丸みのある先端を持った鉄の治具を下地に、さらに外側からたたいて、外周部をすぼめつつ、
全体を気に入った形まで整形していきます。
錫器 (5)

鏡面をもった特殊な金槌をつかって、光沢のある表面へと変化させます。叩いてなめらかにするので、表面に独特の文様がつきます。打面を打った瞬間に横にずらすように(表面にすりつけるように)移動させると亀の子状の文様になります。
錫器 (7)
なんとかそれらしい形にまで整えました。丸い原板を無理矢理すぼめて器の形に整えますから、当然エッジは広がって、ぎざぎざになっていきます。つくる人によって力の入れ方、全体のバランス感覚などが形状に表れてくると思います。
錫器 (8)

ここから「やすり」や「しごきベラ」をつかって先端を整えていきます。参加者全員くたくた。女性には少々キツイかもしれません。
錫器 (9)
やすりで大まかにエッジを整えます。先端がだんだんコンロの炎の揺らぎのように見えてきたので、そのニュアンスをさらに強調することに決定しました。
錫器 (10)

3時間半ぐらいで大まかに完成しました。最後は打刻して自分の名前など好きな文字を刻印できます。ところが刻印がものすごく小さいため、どの刻印がどの文字なのか判別することも難しい、というぐらい小さいです。ようやく文字を探し出して、底に打刻して完成。
錫器 (11)

それらしく「火焔酒器」と名付けました。
錫器 (12)

いつからか、こういった経験や体験を重んじるようになって、工場見学やら体験セミナーに頻繁に行くようになりました。

コンピュータがいずれは人工知能をほぼ完全に手中に収め、知識をさも体験したかのように絶妙の言葉の組み合わせで我々に語りかける日が来ると思います。人間が本やネットで得た知識には限界があり、コンピュータにかなうはずがないと、プログラミングをかじってから、さらにそう思うようになりました。ひとたびプログラムが正確にできあがれば、疲れ知らずで、寸分の狂いもなく、プログラマーが考えたことを再現できるので底知れぬ力を感じます。

しかしコンピュータはプログラムした人の「認識」という枠組みを超えることはできませんし、莫大な情報から言葉を紡ぎ出せても、「組み合わせ」という枠組みを超えられない。

だとすると体が経験したこと、リアルな現場で感じたことは、コンピュータにはできない創造の源となるはずです。なぜならコンピュータには体が無いので「体験」「経験」ができないからです。

いつの時代も価値を最終的に決めるのは人間だし、新しい価値の枠組みを創造するのも人間。
そういった直感が走った時から、このような「体験」とか「見学」を大事にするようになりました。

オスカー・ニーマイヤー展 / 村野藤吾の建築展

お盆の少し前から怒濤のように仕事が舞い込んできたのを何とかひとまず完了させ、たったの一日だけど休日を満喫。先輩と共に一日で2つの展覧会を回る予定。
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東京都現代美術館

ブラジルの近代建築の巨匠、オスカー・ニーマイヤー展。
1907年生まれ、2012年に亡くなられた。なんと104歳で病床に伏してもまだ夢を追いかけていたとか。私もそうありたいものだ。

東京都現代美術館は木場駅からも清澄白河駅からも遠く、中途半端な距離だ。
しかしそれにしても、とろけるように暑い!まずは館内の喫茶店で一休み。
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パンプーリャ・ヨットクラブ

この展覧会で一番建築的に惹かれたのはこれ。
パンプーリャ・ヨットクラブ

よく見ると梁がモーメントに応じて断面が変化している。
片持ちの先端は細く、支点付近は梁せいが大きくなっている。
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会場内で流されるビデオをみて思ったのだが、構造力学のロジックはニーマイヤーの建築を展開していくにあたって欠かせないツールだったはずだ。

デザインを進めると当然、幾何学的秩序や構造的な裏付けを持たせる必要が出てくる。
構造家に依頼をかけていたとはいえ、本人にもかなり力学的な素養がないと、このような形態を制御しきれない。例えば片持ち梁に等分布荷重がかかると断面二次モーメントは2次曲線を描く。その曲線に沿って構造を作れば、理に適った形態になり得る。こうした構造的に自明の理を援用し、己の理想とする形態や美的観念に重ね合わせるのは、ニーマイヤーにとって自然な流れであったと想像する。
有機的形態、自由曲線といった滑らかなカーブを多用した形態の全体制御は容易ではないが、だからこそ暴れ馬のような自由形態に秩序を与え、空間を束ねるツールとして、構造が重要な役割を果たしていたと考えられる。

もちろん、自由曲線が沢山出てくるのは、土地の広さに余裕があるという諸条件のみならず、
多少のコストアップも許容してしまうようなおおらかな時代背景、そして政治的バックグラウンドがあったことも関係しているはずだ。そんな中で彼のデザイン様式は醸成されていったということも頭に入れておく必要がある。
※曲線は設計も大変だが、施工も非常に手間がかかるので、ものによっては莫大なコストがかかる。

構造的なロジックが断面や立面では比較的わかりやすく理解できた一方で、平面は別のロジックが並行して走っていると感じた。敷地との対話を進める過程で、可能な限り伸びやかな空間を無邪気に追求したような。

 

ダンスホール

ダンスホール

ブラジリア大聖堂

ブラジリア大聖堂

ブラジルは、もともとポルトガルの植民地だったこともあり、ポルトガルの影響を強く受けている。その後、複雑な歴史的経緯を辿った。多民族で構成されたブラジルを近代化していくにあたり、新たなアイデンティティを確立する必要が出てきたため首都移転が実行された。その際、他国の建築様式をそのまま持ち込むような事を良しとせず、全く新しい独自のスタイルを築き上げようとしたのだ。
1956年にクビシェック大統領は、「50年の進歩を5年で」というスローガンを掲げ、1960年にはリオデジャネイロから新首都ブラジリアへと猛スピードの遷都を成し遂げた。

近代建築は計画性や合理性といった側面が強調され、そこに普遍性を求めるような文脈が存在する。しかし個人的で恣意的な美学や感性の拡張が、国家や都市のアイデンティティを形成しうるという、通常とは異なる普遍性へのアプローチがあることを示している。もちろん結果的にある種の普遍性を獲得したわけだが。

もっと建築は自由になれるだろうか

もう一歩進めて、どうやったらもっと建築は自由になれるかな、と夢想する。最近はニーマイヤーやザハのような建築をおもしろがりはしても、建築する段階になれば、コンテクストを壊すだの、税金の無駄遣いだとか、エネルギー効率がどうだとか、余計なコストは限界まで下げろとか、もっともらしい言葉が幅を効かせて、新しいアイディアや独創的な理想の実現化はますます難しくなっていく。
特に日本ではそのような傾向が強いのではないか?
自由な表現や試みを受け入れ、みんなでチャレンジしてみようという文化的懐も土壌も少ない。

建物はそれらしい説明を隠れ蓑に、異常に細かい法体系や些末な計算を繰り返す果てに、設計者のささやかな表現の領域をかろうじて残すような、臆病な建物ばかりが増えることになる。

そして小奇麗な説明に執心しなければ、社会的にはじかれてしまいかねない。そんな危うい時代に突入した、とも言える。

だからこそ建築家はコストや効率に代わる新しい説得力をもった「時代の言葉」を創造する必要がある。これこそが日本の建築界の最重要課題だと感じている。そうでなくば、行き着く先はただの空っぽの箱である。

ニテロイ現代美術館

この展覧会では展示方法でも新鮮なことが2つあった。例えばこの模型。建物部分の模型もさることながら、地形としてつくられているスタイロフォーム。スタイロを何層にも重ね合わせた後、3Dデータを基に、機械で削られている。一直線に走る無数の平行な溝があることからそれが分かる。
ニテロイ現代美術館

イビラプエラ公園

そしてもう一つはこの大空間の展示。1/30の模型と共に空間一面にカーペットが敷かれている。
イビラプエラ公園

よく見るとパイル地に細かくGoogle mapの航空写真がプリントされている。パイルの根本まで印刷されており、感心しきり。鑑賞者は靴を脱いで敷地内を歩き回りながら模型を覗くような、あるいは敷地のあらゆる場所に立って全体を俯瞰するような趣向だ。
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先ほどの敷地模型にしてもこのカーペットのプリントにしてもそうだが、新しい技術が展示の鑑賞体験を拡張している。巨人になって敷地を散策しているかのようだ。
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展覧会が何かを鑑賞するというフェーズから、体験するというフェーズに移行していくような試みだと感じる。
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村野藤吾の建築展

続いて目黒区美術館にて村野藤吾の建築展。模型と図面の展覧会だ。
目黒区美術館
80点ほどの模型が展示されている。どれも細かくディティールが表現されている。ゴールデンマットに均一の力で繊細にカッターの刃を何千回と入れて、タイルや煉瓦を表現している。気の遠くなるような作業時間と労力を推し量らずにはいられない。

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村野藤吾の自由さと秩序を同時に追求していくような建築は惹かれるものがある。
撮影可能だったのは比較的大型建築ばかりだったが、敷地に自由に触手を伸ばすような自由な感じの作品も沢山あり、なかなか見応えのある模型展だった。
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目黒区役所

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建築談義

最後は新宿で飲みつつ、HERMITというBARに立ち寄り、終電まで建築談義。
店長のお気に入りの秘蔵の15年物のVIRGIN BOURBONをいただいた。独特の芳香があって旨い!この芳香は10年物にも21年物にも無く、なぜか15年物にしかないそうだ。

さ、また明日から頑張りますよ!
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おしまい。