本物と偽物

グレー

現在の「素材の擬態」を巡る状況を俯瞰した上で、本物と偽物の問題について書いてみたいと思う。

擬態の始まりと争い

例えば温泉に行くとする。
すると露天風呂に石が荒々しく周囲に並べられ、湯煙が立っている。おお、なんと野趣あふれる造り!・・・と思うのも束の間、・・・よく見ると擬石、擬岩なのである。

建築の素人の方には分からないかもしれないが、こうしたものはコンクリートやモルタル、FRPなどの素材を固めて、表面塗装で石のように見せかけているのである。(もちろんホントの石を使っている温泉もたくさんある。)
なぜ本物の石を使わないのか、と言えば、もちろんコストが高いから。
※ビル内の浴室施設であれば、積載荷重の問題もある。

これらの素材は言ってみれば擬態である。
私たちの周囲はすっかりそれらに囲まれ、何も感じなくなってしまっている。
問題はここからはじまる。

 

擬態したものが工場のラインに載ると本物より安くなる。
偽石と本物の違いが見抜けないほど精巧に出来ているのだから、大半の人にとっては安い方が良くなっていく。すると本物を扱っている会社や職人たちの仕事が圧迫される。

さらに連鎖は続く。
市場に擬態が出始めると、今度は擬態同志が争い始める
どういうことか?
擬態に付加価値を付けてくるのだ。

より本物らしい偽物、
より高機能な偽物、
高級感のある偽物・・・という具合だ。

今では本物より木らしいテクスチャーをもった建材が出ている。
表面だけ薄い本物素材を使い、耐久性や見栄えを良くするため様々な加工を施しているものもある。光に反射させて見ると微細な凹凸が付いており、まるで木そのものである。しかしそれはまるで木のようだが、似て非なるものだ。

こういった商品は、我々が木に対して持っている「イメージ」をリサーチし、マーケティングする。そして要素を抽出して寄せ集め、イメージの上澄みのような製品をつくる。こうしてイメージや機能性を互いに上回ろうと、擬態同士の争いに拍車がかかっていくのである。

建材の擬態とはなにか?

ここまでの話でぴんと来ない人がいるかもしれない。では身の回りに溢れかえっている擬態を見てみよう。例えば何の変哲もない木目のオフィス机。
 木目のメラミン机の表面
・・・ここに10倍ルーペがある。
10倍ルーペ
さて、これを先程のデスクの上に置いて見る。
ちょうどルーペを置いた天板上で焦点が合う。

10倍ルーペを覗く

この時点でも分かる方がいるかもしれないが、細かいドットで構成されている。
10倍ルーペをさらに覗く

さらに画像を拡大すると、単に色の粒子が寄せ集まっているだけだとわかる。つまりインクジェットプリンタのようなものでプリントされている。普通の人は肉眼ではまず分からない。
メラミンの表面を更に拡大

見慣れている木目の机さえ巧妙なプリントなのだ。・・・こんな具合に身近な所に擬態した表層というのはごまんとある。
切り口が黒いからメラミン化粧板だとわかる。メラミンの良いところは堅くて耐久性、耐摩耗性、耐水性があるところ。臭いもしない。
 

では誰が偽物を望んだのか?

コピー、偽物、偽装と騒ぎ立てる昨今だが、不思議なことに、なぜかこうした建材の疑似性については問題視されることもなく、社会問題にもならない。それは建材を供給するメーカーと消費者が、実は共犯関係にあるからである。メーカーが普及させたとは言えるけれど、同時にそれは消費者が望んだ結果でもあるからだ。

例えば材木屋の友人からこんな話を聞いた。

とある幼稚園の園長先生から相談され、屋外デッキにハードウッドを提案したそうだ。ハードウッドは南洋材で固くて劣化に強い。しかし風雨にさらされると少しずつ脂が抜け、グレーに変色していく。その風化の味わいは捨てがたい素朴な魅力があると思うのだが、園長先生から「木は汚くなるから嫌だ。」と一蹴され、結局「木の粉と樹脂」を混ぜた人工建材が採用された、と。
消費者が望んだ結果でもあるというのは、つまりこういうことだ。

本物と偽物の境目とは?

では本物と偽物は明確に区分けが出来るのだろうか?

例えば引き戸や折れ戸の表面に木の単板を貼った建具がある。正確には「突き板練り付けフラッシュ建具」という。樹脂系面材を使ったものでなければ、ほとんどがこの作り方だ。突き板というのは材木を加工機械に入れて「大根のかつらむき」のように木を薄くスライスした板のことである。一番表面に見えてくる板は本物の木だ。ではこの建具は、「本物素材の建具」なのだろうか?確かに本物が使われているからある意味正しい。しかし、これとて大量の接着剤無しには成立しないのである。
だとするならば、木の粉を接着剤で固めた人工的な素材の建具を偽物と言いきれるだろうか?商品形態が多様になった今日では、本物と偽物の境目は限りなく曖昧である。

まとめ

我々の社会は本物と偽物が混在した状況と分かちがたく結びついてしまった
多くの人は素材に関して「偽物はだめで、本物がいい」という観念をなんとなく持っていると思うけれど、上述のように突き詰めていくと、現代ではほとんど無効化して意味を成さない区分けだと思うようになった。良し悪しはともかくとして、自然物と人工物の境目が曖昧になってしまったからだ。この傾向は今後ますます強くなるだろう。

設計においては、手触りや質感、香り、重さ、耐久性など、多様な指標をもとに空間の質を構築していく。目指すべき空間の質がはっきり見えれば、素材の「本物か偽物か」といった指標を飛び越えて、素材を選ぶ新たな判断基準が生まれてくる。