建物の巨大化は、床や設備の量が増えるという話にとどまりません。
それは都市の質そのものを内部から作り替える現象です。
巨大化がもたらすのは、効率や収容力の向上だけではありません。
同時に、リスクの集積と意思決定の硬直化を増幅させます。
本稿では、建物の巨大化によって生じる「量から質への転換」を観察しながら、
今日では建築家の手が届かなくなったと考えられがちな領域、
すなわち「都市計画」がどこへ移動したのかを考察します。
量と質の関係
オフィスビルや高層マンションに見られるような
「床を積層させる」という行為は、
言い換えれば土地を人工的に生産する方法です。
国家的なスケールで見れば、それは「国土の拡張」とも言えます。
エレベーターは、高速道路や幹線道路のように
人工的に生産された土地同士を結ぶインフラといえます。
有名なビルを例に挙げて、「建物が巨大化する」ということを考えてみたいと思います。
アメリカのシカゴにあるシアーズタワーというオフィスビルがあります。
・高さは約442m
・アンテナまでの高さ約527m
・延床面積約416,000m2
・階数 110階
・床面積は42万m2もあります。
(東京ドーム9個分、あるいは日本の一戸建てが建つ土地面積を100m2と仮定すると、
約4200軒分の土地面積となります!)
その他にも
・収容人数 11000人
・エレベータは 104基
・トイレ 943個
・配管総長さ 40000km
・電話回線距離 69000km
・荷物搬入のためのトラック 175台/日
・店舗面積や設備用の床 10000m2
といったデータがあります。
わずか一辺が70mの正方形の建物ですが、気の遠くなるような量です。まるで小さな街を示すデータかと思うほどです。(立方体は一辺が2倍になると体積は8倍になるので、大きくなればなるほど、それを満たすための要素は指数関数的に増えていきます。)
データから読み取る限り、巨大さを支える「量」が、都市的な「質」を帯びているように見えます。
さらに考察を進めます。
経済性による多様性の確保
建設投資額も大きいだけにテナント利用率が問題になってきます。テナントの利用率に関して小さなビルと異なるのは、巨大なプロジェクトであるほど多様性を確保する必要性が出てくる、ということが挙げられます。
1万人以上収容するということは様々なジャンルの飲食店や店舗が入っていなければならないですし、小さい会社もあれば大きい会社も入るので、様々な広さの床を設定しなければなりません。実際このビルには理髪店、整体、歯医者さん、観光客用の土産物屋さん・・・・いろんなお店が入っています。
ではマンションの場合はどうでしょうか?
私が関わったことのある高さが100mを超えるマンションでは住戸タイプが42種類も設定がありました。いろんなタイプの人が選べるようにバリエーションを確保するのです。同じ住戸タイプであれば家賃設定が同程度になって似通った層の人が集まると予想されるので、その方がいいのでは?という考え方もあります。
しかし、マンションなどは立地で選ばれることもあり、一つの建物に様々なタイプの部屋を用意する方が売れやすいそうです。規模が大きくなると、経済的な合理性によって必然的に多様性確保が求められるということになります。
リスクの集積
建物が巨大化するとリスクも高くなっていきます。
例えば平屋建てが火事になった場合、そのまま消防員が救助に入れます。
しかし、2階建てになるとはしご車が必要になります。3階建てなら消防の進入口が必要になり、もっと高層になると、はしごが長くなるのでクルマを安定させるためのアームを確保するスペースが必要になってきます。
さらに高層化すると非常用エレベーターも必要ですし、地域にもよりますが高さが100mを超えるとヘリポートの設置が求められたりします。逆に避難する人が何千人にもなる、ということは一気に避難階に人が押し寄せるということであり、避難スペースも考慮に入れなければならないでしょう。
また、これらのリスクを回避するための設備投資や警報システム、それらの恒常的なメンテナンスも必要になってきます。
人や物を集積させるということはリスクを集積させることと同義です。
大きくなればなるほど、リスクも指数関数的に高まっていきます。
9.11のテロやサリン事件はそういうことを象徴しています。
環境の制御
巨大化するということは人工的に環境を制御する必要性が出てくる、ということでもあります。
風は地面から離れて高くなるほど強くなりますから、高層階ではなかなか窓を開けることが難しい、と考えられます。・・・窓を開けるたびにビル風が吹き込んだのでは仕事になりません。
また、外側の部屋と内側の方では絶対的な環境の差が生まれます。この辺も小規模の建物と異なるところです。太陽の光は入りにくくなりますし、外側で窓を開けたとしても新鮮な空気が流れ込みにくくなりますから、人工的な空調や照明に頼ってそれらの差異を極力解消していく必要があります。
都市もまた人々が自然を切り開いて密集した結果、今度は人工的に公園を作り出して生活環境を整えているのと似ています。最近はビルの至る所で緑化する計画が多くなっています。
機能集積の問題
巨大になるにつれ、あらゆる要素をシステマティックに動かしていく必要がでてきます。機能集積の高度化です。
一軒の家ならそこで生活する人がゴミ処理や掃除をするのは当たり前ですが、中規模の建物ならメンテナンス契約をして清掃のサービスを外注するでしょう。
オフィスで働く人々を支えるために、料理人やショップ店員、公的な出張所など、巨大になるほど多様な機能の集積は進みます。
オフィスで働く11,000人全員が一斉に掃除したり、ゴミ出ししたり、警備に当たったり、料理を作ったり・・・ということは当然あり得ません。
建物が巨大になるほど、あらゆる行為は分業化・外注化されます。
清掃、警備、飲食、物流、行政サービス。
一つの建物が、都市の機能構成そのものを内部に持ち始めます。
ここに至って、建物はもはや「建築」ではなく、「圧縮された都市」になります。
都市計画概念の行き先
これまで見てきたように、建物が巨大になるほど、それを構成する要素の「量の過多」とその関係性によって、一つの街や都市のような質を帯びてくるのがわかります。
今日、日本では大々的な都市計画を打ち出すことに、あまりリアリティがありません。
しかし、だからといって都市計画的発想が社会的な意味を失ってしまったということにはなりません。
巨大な建物が都市的な質を帯びるということは、都市的なレベルのアイディアを試せることでもあります。建築家の都市計画的発想力は、実験的、野心的な都市計画案を経て、最終的にはよりピュアな形で巨大ビル内に結実すると思います。
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